人を攻撃する社会や集団について
人を攻撃する人は犯罪者として社会で弾かれるようにしているが、集団で一人の人間を攻撃する場合、一人あたりの攻撃力が小さいことで犯罪とならない気がしている。
被害者側としての被害状況としては同じでも、集団や社会が攻撃することに対して現在の社会は整備されていない。そしてよく考えると社会構成をする上で個人の行動を制限することはできても、社会の行動を制限することはできないと感じる。
心理学に詳しくはないが、他人と比較しないと自分を明確化できない人が多いので、他人を蔑むことで自分の存在を自分の中で高めようとすることが行われている。
その行為は特に集団になった場合に攻撃性が強くなり、犯罪者などのように一般的に攻撃することが正しいと感じる人に対しては正当性を開示手します。他にも、妬みが根幹にあり、成功者が失敗した場合や芸能人の不倫に対しての大騒ぎも近いものだと考えている。
そして、その攻撃に対して防御する方法が整備されていなさすぎるような気がする。
特に、インターネットの普及によって攻撃する場が増えたことが原因なのかもしれないが、社会的に個人を排除する方法に対してモラルなどの人間形成が間に合っていない。
嫌いな人間の住所を晒したり、個人の悪口を書くなどの単体では大したことがない行動によって、された人間がどうなるのかの想像力ができていない、もしくは犯罪性を理解できていないと思われる。
そのため、やってはいけない事を小さいことから学び、その子どもたちが大きくなった時に社会的な攻撃力を持たない空気を作る準備が必要だと考える。
また、技術的にインターネット上から削除したいものを削除する技法を見つけて欲しい。おそらくAIの発達に寄って自動で公的機関が消したい内容を見つけ出して、削除することもできなくはないのではないかと思われる。それによる問題もあると思うが、その問題は現時点で発生している消せないことに関する問題よりも大きいのかどうか疑問に感じる。
この内容については、これからも考えていきたいと思う。