賃金について考えてみる

賃金は「生きていくために必要な社会的・平均的な費用、労働者にとって必要な生活費に寄って決まる」というのがある。

つまり、明日も元気に生活していくために必要なお金とは「生理的生活費」「文化的生活費」「家族の生活費」「技能習得費」が存在する。

 

1.生理的生活費

労働による労働力の消耗を補充し、次の日も同じ状態で働けるようにする費用

つまり、衣料、食料、住宅など

 

2.文化的生活費

その国の社会的発展にふさわしい文化的な生活ができる環境を整える費用

つまり、新聞、本、インターネット、エアコンなど

 

3.家族の生活費

その労働力の提供が一代で終わらないように、次の世代へと繋いでいくための子どもの教育費など自分たちの家族の生活費

つまり、配偶者・子ども・両親の生活費

 

4.技能習得費

一定の技術の進歩に対応し、かつ、その技術習得に必要な費用

つまり、パソコン、簿記など仕事に必要な技能を習得する費用

 

「生理的生活費」「文化的生活費」は個人によって大きく変動してくるものである。これは、与えられた賃金の中で我慢し、最低でも必要なものだけにすれば生きていくことはできる可能性は高い。しかし、何を持って、最低限だと考えるのかが問題になってくる。

基本的に現在の自分の給料で普通レベルの生活ができている。もちろん、多くもらっているとは感じていないため、購入を我慢している部分もあるが、携帯やインターネット費、ジムの月謝の支払いも問題なくできていることもあり、賃金が少なすぎることはないといえる。その中で、生涯年収が自分より2000万円多くなるであろう人に出会った。これはつまり、自分と同レベルの生活をしていれば、その人は退職する際に、レクサスなどの高級車や家の購入が一括でできるということである。

しかし、実際にそうなるとは思えない。つまり、退職するまでの生活で自分より2000万円多く消費していることだと考えられるということである。

これは、結局自分の収入が今の倍になったとしても、それに合わせて消費が増えていくであろうとのことである。

生活水準をあげることによって、もちろん自己成長の要素は増えていくだろうが、それはお金をかけることが全てであるとは思えない。例えば、iPadなどのように便利なツールを利用して勉強することで成長の速度が上る可能性もあるが、そんなことより普通のノートでも毎日続けることが重要だと思える。

結局はお金がないことを嘆くより、自分の成長のためになにができるのかを常に考えながら生活していくことが大事である。