余計な一言に関して

余計な一言を行ったことがない人はいないと思っている。

たとえ相手のことを心から考えての発言であろうと、相手を不快にさせる一言が余計なことであることがあるからだ。

優しい人間が相手への助言であろうと、「言われなくても分かってる」「言われてもどうしようもない」「言う必要はないことだ」などと感じることはある。そしてこれは、言ってる人間からは優しさから来ているため、余計な一言であるということは自分で歯気づきにくい。言われた側も不快ではあるが、言う側が悪意を持っているわけではないから伝えることもできない。それがさらにストレスになることがある。

 

これは正直最近になって考えるようになったことだ。そのきっかけは、やはり善意を持って言われたことが不快だと感じたためである。

ただの助言のつもりではあったのだろうが、本当に気分が悪かった。その上、そんなことで気分が悪くなる自分の小ささが嫌にもなった。本当に余計な一言のせいで、いらないストレスを抱えてしまった。

これは言われた側にしかわからない。つまり、他の人間に伝えてストレス解消をすることもできない。他の人間に言うことによって、結局は行った側の善意を偉そうに語られるだけだろうと思う。

 

今回の件で学んだことは、善意だろうとなんだろうと、言い方を考えないと相手を不快にさせてしまうだけであるということである。結局は「伝え方」が大事である。それは、「言葉のチョイス」であったり、「言うタイミング」であったり、「誰といるときなのか(一人でいるときなのか、複数人でいるときなのか)」が重要になってくる。

そのため、自分の発言が相手にどう伝わるのかを常に考えて話をする必要がある。「どういうつもりなのか」はそんなに大事ではない。本当に大事なことは「どう伝わるのか」ということだからだ。

言葉に関する個人的な考えがあるが、これは明日の内容としておく。

100%考えていることが相手に伝わるわけはないので、どう伝わるのかは意識しながら発言に気をつけていきたい。