妥協と適応の違いについて

至上の処世術は、妥協することなく、適応することだ  ジンメル

 

妥協するというのは諦めが入っているニュアンスを感じる。適応するというのは、自分の現状と正確に把握し、その自分の状態と現実を照らし合わせて順応するというニュアンスを感じる。

深く考えることもなく、自分の限界を勝手に設定してその手前で妥協することは、恐らく精神安定には役に立ち、人生を苦しまなくて済む処世術ではあると思う。しかし、自分の限界を設定することで必死になる機会がなく、無難なまま成長もなく人生が終わってしまう。「一度きりの人生だから楽しく生きる」というフレーズはピントは来ないが、ただ生きて死ぬだけの人生で終わることは寂しいとは感じるので、楽しく必死に一生懸命生きていきたい。

ジンメルさんの言葉としては、恐らく妥協することで自分が死んでいくので、妥協した上で周りに妥協することは「処世術」として下策であるということだと思われる。

そのために自分の人生における芯を見つけておく必要がある。我慢できる部分と我慢できない部分を決めておき、多少の我慢することで周りに適応する必要性はあるが、我慢できない部分まで我慢しようとすると人生においての妥協が含まれてきてしまう。

なにを大事にしたいかを明確にする。それが「処世術」としても必要な項目になると思われる。